特別なんかじゃない!求め続け、諦めるな!

ブログ 今回は、初回記事ということで、どのような経緯でネットビジネスに出会ったのか、簡単な経緯をお話させていただきましょう。

ネットビジネスとの出会い

PC 私は、1989年の1月に東京の板橋区の某病院にて生まれました。 その後、色々な経験を経て、通常の仕事では、「自分の望む生活を手に入れるのは難しい」と強く感じるようになったのです。 そして現在、インターネットビジネスに可能性を感じた私は、2013年の3月より本格的に勉強をし始めました。 開始1ヶ月目は3万円ほどの収益を上げることが出来ましたが、その後は全く収益は上がらない状態が続いたのです。 しかし、それでもネットビジネスで稼ぐことを諦めきれなかったため、いろいろな情報商材を購入したり、ネットビジネスの塾にも参加をしました。 俗にいうノウハウコレクターの誕生です。 教材、ツール、塾・・・合計すれば費やした金額は300万円を超えていました。 継続することで、諦めずにやれば結果は出せる! 私はこの言葉を信じて、ただただ諦めずにネットビジネスに関わり続けたのです。 そして徐々にですが成果がでるようになり、ある時を堺に私は「ネットビジネスは本当に稼げる」ということを心から確信することが出来るようになりました。 ただ、このような話をすると、私が特別な考え方、余裕のある生活をしていた。 自分とは違う存在だから関係ないと思われるかもしれません。 しかし、その考えは間違っていると断言させていただきます。 胸を張って言うようなことでは決してないですが、私は普通の生活すら送れていませんでした。 少し控えめに言ったとしても、他の人よりも劣っていると思います。 失敗、失意、人生のどん底を経験してきました。 これまでの私の人生を知っていただければ、私が決して特別でないということが、必ずお分かりいただけるのではないかと思います。 ですので、ほんの少し私の過去のエピソードを語らせていただきます。

わがままし放題な少年時代

ランドセル 私は小さいころ、わがままし放題で、迷惑をかけてばかりいました。 小学生のころから、親のいうことをあまり聞かず、好き勝手にやってきたのですが、中学3年の頃から今までのツケが回ってきたかのように、生活環境はどんどん悪化してきたのです。 しかし、この後語ることは、家庭環境が全ての原因だとは思いません。 結局、それを言い訳に好き放題したのは私だからです。 私が中学生の頃、家庭環境はあまりいい状態ではありませんでした。 度々起こる両親の喧嘩や離婚騒動。 受験勉強など真剣にする気が起きるはずもなく、好き放題したあげく、教師、両親の反対を押し切り、勝手に進学先の高校を選んだのです。 しかもその高校を選んだのは、「去年まで女子校だったので男子が居ない女性の花園だったこと」、「奨学金を受けられたので、入学金が免除になった」という理由だけで・・・ しかし、高校に入ってからも生活は悪化する一方でした。

甘くない現実

笑顔 私は高校生活にいろいろな夢を抱いていました。 楽しい部活生活、恋愛、そして高校生になったことで可能になるバイト。 しかし、待っていたのはそんな甘く華やかな生活ではなかったのです。 始めたバイト先では、高校生にも関わらず法を無視した22過ぎのサービス残業、深夜の仕事など、責任だけ押し付けられて後輩が昇格していく理不尽な状態。 私の給料は変わらずに、責任と労働時間だけがのしかかってきました。 後輩は店長と仲が良かったようで、給料も責任に応じてしっかりと上がっていきました。 「世の中はこんなものなのか・・・」 私は、どんどん性根だけが腐っていく一方でした。 22時以降や深夜も働き、次の日は早朝から学校で朝練・・・ そんな生活を送っていた私は、徐々に体へも負担が蓄積されていきました。 ある日、私は体調に異変を感じ、すぐに病院へ行きました。 すると先生から告げられたのは、「潰瘍性大腸炎ですね。」 私はもちろん聞きました。 「治りますか?」 先生は言いました。 「原因不明の難病なので、現段階で治し方はわからないです。」 私は、全てのことがどうでも良くなりました。 やる気も、夢も、将来のことなんて考えられなり、どんどん投げやりになっていきました。 唯一の支えは、当時付き合っていた彼女だけでした。 しかし、高校3年の卒業式間近・・・ 私は彼女と別れました。 「卒業したら一緒に暮らそう」なんてことを話していただけに、卒業後は幸せな日々を想像していました。 しかし、その時彼女に言われた言葉により、私の中でなにかが音をたてて崩れました。 ジェンガ一緒に居た時間は無駄だった」 好きな女の子に言われた最後の言葉。 俺の一年は何だったんだろう・・・・ その後しばらく私はなにも考えられず、良くない考えばかりが頭のなかをグルグル回り続けました。 高校卒業後に私に残されたもの・・・それは、授業料で借りていた奨学金の借金とボロ雑巾のような心だけでした。

心にあった一つの想い。しかし現実は・・・

それでも、私は1つの目標がありました。 大学に行きたい! しかし、残念ながら頭の良くなかった私は、浪人生活を送ることになったのです。 もちろん、予備校の学費は自腹のため、朝から夕方まで予備校、その後深夜までバイト。 そんな生活が続きました。 今思い出しても、あの時期は本当に悲惨でした。 卒業後、浪人生活を送りながらも、心は空っぽのままでした。 私は、別れた彼女のことを引きずり、忘れることが出来ずにいたのです。 駅 予備校に向かっている時、駅のホームで駅員さんが、「危ないですので黄色い線の内側に下がってお待ちください。」と声をあげます。 その後、キーとブレーキの音を立てながらホームに入ってくる電車。 それを見て私は・・・ 「このまま飛び込んだほうがいいのかな」 「俺なんか生きてても意味ない」 そんなことばかり考えていました。 無理をしていたのか、そんな生活も長くは続きませんでした。

引きこもり。そして暴走・・・

暗い 私はとうとう引きこもりました。 全てにやる気が無くなり、リアルから逃げ出し、ネットゲームにのめり込んでいったのです。 毎日起きてはPCに向かい、ほとんど自分の部屋から出ることもなく、カーテンはしめっきり、家族との会話も日に日にしなくなっていきました。 実にその月日は、3年をあっという間に費やしてしまいました。 ふとある日、私は思いました。 「このままじゃまずい。」 「なにかで稼がないと・・・。」 そして、何をしたかというと・・・ パチンコにのめり込んだのです。 そして、パチンコ必勝法や攻略法に手を出すようになりました。 もちろん甘い話には罠がある・・・私はある業者に騙され、400万円を超える借金を負うことになったのです。 他の借金も合わせると1000万円を越え、どうすることもなくなりました。 そして私の暴走は失敗から何も学ばずに続きました。 次に私は、借金を返すには、「爆発的に一気に稼げる仕事をするしかない」と思ったのです。 私は引きこもっていた後遺症からか、人と話すのがかなり苦手になっていました。 しかし、短期間で稼ぐにはホストしかないと、歌舞伎町に乗り込んでいったのです。

終わりの見えない負のスパイラル

kabuki お酒も飲めない、しゃべりもダメ、顔もいいわけでもない そんな私が、ホストをやっても相手にされるわけもなかったのです。 そして、災難はまだまだ続きました・・・ 給料日の次の日、私は酔いつぶれてしまい、そこには鞄がありませんでした。 給料、通帳、保険証、免許書・・・ありとあらゆるものが入っていました。 次の日から私は本当に一文無しになってしまったのです。 残されたのは借金だけでした・・・ 日々生活もままならない、売上も上がらない。 ひどい時は給料もマイナスで借金が増えるだけの生活・・・ さらに追い打ちをかけるかのように、持って行かれた保険証を悪用され、携帯25台を契約され、実家に届く請求書の山・・・ そして人間扱いすらされない日々。 病院に行ってもホストというだけでぞんざいに扱われ、お店に来るお客さんからは 「なんであんたいるの?」 「まだ生きてるんだwww」 なんて罵倒を浴びることも日常茶飯事でした。 それでも、きっと良いことはあるはず。 そう信じて、自分にできることを毎日必死にやっていました。 しかし、今まで自分勝手に生きてきた私には、神様は助けの手を差し伸べてはくれなかったのです。 絶望 そんなある日、先輩がべろべろになり、酔った勢いで鉄のお箸を熱し、私は肌を焼かれました。 ひどい火傷を負い、治療に1月以上かかる程でした。 私はなにもしていないのに・・・ なんなんだ、世の中いいことなさ過ぎだろ。どうして俺ばかりこんな目に そんなことしか考えられなくなっていきました。 もちろん、その時ホストを辞めることを決意したのです。 ホストを止め、朝日が登り始め霧が若干かかる中、自宅へと車を運転しながら、私は心に固く誓いました。

決意を胸に新たな前進

扉 何が何でも“お金にふりまわされず”、“好きなときに好きな事が出来る” そんな生活を絶対に手に入れてみせると。 「また同じような生活に逆戻りすることなんて絶対に無理。」 「コツコツでも真面目に生活していけば、普通の暮らしに戻れるだろう」 私は、再度決意を胸に昼間の仕事をすぐに探し、さっそくバイトを始めました。 休んでる暇なんてありませんでした。 残されたのは1,000万円以上の借金だけなのですから、休めるはずもありません。 それから、私は毎日、毎日働きました。 もちろん、掛け持ちをしたので、休みなんてありませんでした。 1ヶ月連勤があたりまえ。 しかも、入る給料の8~9割は次の日には返済でなくなるような生活。 何のために働いているのか、全くわかりませんでした。 同世代の大卒に比べても、月収35万円前後の十分贅沢のできるほどの金額を手取りでもらっていましたが、それでも生活は最悪なまま。 働いたお金はほぼ全てが返済。 「このままの生活を続けてもダメだ」 「何も変えられないじゃないか」 その思いだけが日に日に強まっていきました。 その後、知り合いがインターネットビジネスで月に90万円以上稼いでいるという話を聞いた私は、すぐさまいろいろな情報を集め始めました。 食費も削り、使えるお金を情報商材に使用していきました。 30万円を超える塾にも入りました。 正しい方法を知った私は、徐々にインターネットビジネスで収益を上げていくことが出来るようになりました。

安定しない不安とカラダの限界

その後、順調に報酬も上がっていきました。 最初の報酬は77,000円でしたメルマガ発行4ヶ月目 この時私は、メルマガアフィリエイトを行っていました。 実績もなにもない状態で始め、それでも継続して活動した結果、報酬を得ることができたのです。 その後も私は、メルマガアフィリエイトで稼ぎ続けました。 気が付くと、ある程度コンスタントに月収21万円を稼げるようになり、サラリーマンが1ヶ月を汗水たらし、ようやく稼げる金額を稼いでいたのです。 メルマガ発行6ヶ月目 メルマガ発行9ヶ月目 ですが、私には「いつまで続けて稼げるのか」という不安がありましたので、なかなか会社を辞めることができませんでした。 そんな時です。 会社での理不尽な状況に体が悲鳴を上げ、ついに倒れてしまったのです。 そして私はそのまま会社を辞め、専業でネットビジネスを行うようにしました。 このブログでは、そんな私の経験や知識を元に、少しでも役に立つ情報を配信していければと思います。 また、メルマガでは、ブログに書けないような極秘情報など、最新の情報をお届けしています。 ぜひメルマガへの登録をよろしくお願いします。

メルマガへの登録はこちら

Coming Soon……

記事公開日: 2014年09月05日
最終更新日: 2019年03月08日

[未分類]

記事内容はいかがだったでしょうか?

もしも当記事を読んで少しでも興味深く思われましたら、以下のソーシャルボタンで共有してください。

コメントを残す

このページの先頭へ